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2011年 12月 26日
聖ルキアの目玉だとか、聖カタリナの車輪だとか、西洋絵画のアットリビュートはちょっとは知ってるのに、日本の神社仏閣だとさっぱり解らないアタシですこんばんは。ダメじゃんね。
解るのは七福神とか八歌仙、麒麟に龍に息に獏、獅子なんかの霊獣程度。 そんなアタシがふらっと紅葉を眺めに行った秩父神社で発見したのコイツです。↓ ![]() 一角、背中に甲羅、赤い鹿に似た体には斑紋、牛か鹿っぽい蹄、4つの尾と、流水に波間? こーゆーのは彫刻師がてけとーにでっち上げたモノではなくてなんか意味がある、ハズ。 で、帰宅してから調べて見たのですが、犀だそうです。 いや、あのサイではなく霊獣の犀。獅子だってライオンとは似ても似つかんじゃんね。 ていうよりか、霊獣犀が先にあって、後の世に動物のサイが伝わった折、霊獣で一角のがあったから犀をあてがったんじゃないかと及ばずながらも推測する訳ですが。犀。 水の霊獣で火事から護るんだそうです。瓦の巴紋といい、日本の建築には火事除けが本当に多くて、いかに恐れられたかが解りますな。木造だもんね。 日本の寺社仏閣にある彫刻や絵画も、せめてルネッサンス期の絵画と同じくらいには読めたら、面白いだろうなぁ思うのでした。 どっかに解りやすい解説書はないものか…。 2011年 12月 22日
有名作家漫画家さんが連名で自炊業者を訴えたそうですが、なんだかなー、というのがあたしの印象です。
あの記者会見での作家さんたちの主張は「自炊=違法コピー拡散」を前提にしているのが否めないです。 アタシ東野圭吾も浅田次郎も大沢在昌も大好きだったのに、なんだかものすごくがっかりしました。とても残念。 アタシもバラしてスキャンしてデジタルアーカイブにしているけど、もちろんファイル交換やアップロードはしてない。 アタシは小説が月に10冊読む程度には大好きなので、小説というメディアに廃れて欲しくないと思う。だから古本屋ではあまり買わないんですよ、作家さんにお金が入らないので、買うなら本屋で買います。100%じゃないけどさ。 しかして、それだけのペースで本を買うと、本棚なんかあっちゅまに埋まります。月に10冊だと1年間で120冊。あたしみたいな典型的な貧乏人のワンルームにそんだけの本が置いておけるわけがないじゃん。 従って処分せざるを得ないのだけど、捨てるのは惜しい。だってまた読みたいもの。そこで自炊なのです。 ただ捨てるのは惜しいから、内容だけでもとっておきたい。本をバラすのが悲しいと仰ってましたが、自炊が作品に対する愛情なのはわかってもらえないのかしら。 捨てなきゃしょうがないから捨てるけど、でもそれじゃ寂しいからバラしてスキャンするんですよ。バラしちゃったら古本屋にも売れないんですよ。 だいたい出版社からして本屋で売れ残った返本を断裁処分してるじゃんか。 そもそもとっとと電子出版で出してくれりゃそんな面倒なことしないんです。最初から電子版を買うわい。でもアタシが読みたい小説は全然電子出版で出ないじゃない。 宮部みゆきの新刊も東野圭吾も浅田次郎も真保裕一も大沢在昌も、既刊本はちくちく出てるけど新刊はでないじゃん。まさかもう既に持ってる既刊本を、自炊せずにもう一度電子版で買えとおっしゃるのか。 自炊がダメだってんなら、新刊と同時に電子版を出すか、本に電子版をつけるかしてください。 だいたいあたしなんかかなりの優良顧客なはずですよ。月に何冊も、定期的に買うんですからよ。面白いと思えば友達に勧めたりするし、SNSで宣伝したりブログで感想書いたりしてさ。 なのに、とうの作家さんから違法コピーの温床とか、犯罪者呼ばわりされるなんて酷い。 映画館の予告前の「No More 映画泥棒!」だってそうですよね。 私はわざわざ映画館に足を運んで正規の料金を払って映画見に来てる「お客さん」なはずなのに、お前ら盗むなよ犯罪すんなよ、って毎回毎回同じ映像の変なパントマイムや女のアホヅラ見せられるの。正直うんざりしてます。 一部の犯罪者を警戒するあまり、顧客を疑ってかかる、っていうのは商売上よろしくないんじゃないでしょか。私はお客さんですよ。お金出してそのサービスやメディアを購入しているんですよ。「犯罪しないでくださいね」なんて言われるのは不愉快です。 だいたい本屋(本の販売業者もしくは出版社、取次、なんでもいいですけど本の流通小売りに関わるという意味での)はこのITの世の中で、商売に手を抜き過ぎなんじゃないかしら。 新刊が出てるのに既刊置いてないし。せっかく店頭で面白そうだな、と思ってもそれが2巻で、既刊の1巻置いてなかったら買わないよ。それにシリーズモノで買ってるのにどうして本屋はアタシの購入した本を把握してくれてないの? どうしてお得意さんの顧客管理をしてくれないの? なんで「1〜3まで買ってるのに、今度4巻がいついつ発売されますよ」って教えてくれないの? なんで本を買おうとしたときに、その本は「〇〇というシリーズの3巻めなので、先に1、2巻読んだほうがいいですよ」って教えてくれないの? なんで「このシリーズがお好きならこっちのシリーズもどうですか?」ってお勧めしてくれないの? Amazonは上記の全部じゃないけどけっこういい線をいってます。 ただの通販業者じゃない。送料無料とかお届けが早いだけじゃない。それなりによくできたシステムだから儲かってるんじゃないでしょか。 流通からしてISBNコードで管理できてるんだし、データベース構築分析管理しやすい分野なハズなのに。実際AmazonはKindleでそれをやってうまく行ってるんですよね。ただの電子版+リーダーじゃない。 本が大好きなのに。本の将来がとても心配ですよアタシゃ。あ、別に本が紙でできてる必然性はないでス。 >東野圭吾氏ら作家7人、書籍スキャン“自炊”代行業者を提訴[internet.watch] 2011年 12月 18日
ちょっと前まで、いや、今でも大半のユーザはそうかもしれないんですけど、ネットとリアルの間には深い溝とか厚い壁があったと思います。
それが匿名の世界であるインターネットの特徴だった。 たとえばチャットにしろ、掲示板にしろ、ネットゲームにしろ、ネットを介して知り合った相手の個人情報を「聞く/教える」のは「危険」で「失礼」、あるいは「非常識」な行為だったと思います。たぶん今でもそうです。個人情報をネット上にさらすと悪用されたりする…ですとか、そんな感じですよな。 その「常識」の中では、リアルとネットは完全に別物でした。「ネット弁慶」だとか「ネカマ」なんて言葉もあったし。ハンドルネームやスクリーンネームは今もばりばり現役だし。 逆にネットを介していない知り合いにネット上の自分の情報を教えるのも、あまりやらかなった感じ。せいぜい自分のblogを教えるくらいでしょか。 そしてアタシはその状態に、なんかどこか、違和感のようなものがありました。「ネット用の自分」みたいな。なんか違う皮をかぶっているような不自然さ。偉い人の前で猫をかぶるように、ネットでは何かの皮をかぶっている様なもどかしい感じ。ネット上で知り合った人とのネットを介したコミュニケーションは、リアルで友人と話す時となんかしら違う。どこか素の自分ではない様な感触。 アタシ個人の違和感はさておき、リアルとネットに壁か溝のようなモノ、明確な線引きがあった/あるのは事実だと思います。 だけど最近、その壁だか溝だかを、Facebookががんがん壊して埋めてくれちゃってます。 そしてそのあり方にアタシは、ものすごくしっくり来ている感じがするのです。 Facebookは実名が規則で、出身校や出身地や勤務先なんかの個人情報をあけっぴろげにさらします。一応Facebookはクローズドなサービスで、そういった情報を閲覧できるのはFacebookのアカウントを持っていてかつ友人、あるいは友人の友人など、プライバシーは設定できます。けど。 Twitterやブログと連結する事でどっちみちバレるんですよね。 FacebookというSNSに繋がる事で、各自好き勝手なハンドルを名乗る不特定多数という正体不明の集団ではなくて、明確な個人が現れたんです。これはスゴイ。そしてすごくしっくり来ます。ちゃんと人とコミュニケーションしてるんだ、って思える。 アタシは古い時代からのチャットユーザ(それがチャットと呼ばれていなかった頃からの)で、メールも掲示板もインターネット以前(パソコン通信)から使っていたので、ネットを介したコミュニケーションには多分に慣れています。掲示板でやりとりする時の心得とか、相手に個人の連絡先を教えるタイミングだとか。 それらはなんとなく経験値で計れてましたし、もちろんハンドルの向こうに特定の個人がいた事は解っていたのですけれど。 でも顔と名前が見えているのってずいぶん違う。 そして圧倒的に感じるのは、リアルな友人知人とやりとりする情報の密度が増えた事。Facebookに書き込んでおくと、特に知らせる事がなくても近況を知っていてくれる。 「こないだどこそこの〇〇ってお店に行ってさ」なんて切り出さなくても「〇〇どうだった?」なんて聞かれたりする。 ようやく、ネットと世界がつながる様になった! って感じがすごくします。 ネットはリアルでない自分が遊びにいったり気晴らしをしたり、現実にとらわれる事なくなにがしかを主張したりする場所ではなく(笑 そこは別の世界ではなく。 日常の生活に準じたツールになってゆくのだな、と思うのです。 もちろん、ネットってくくりは大雑把すぎて、たとえば氏素性を知られる事なく羽根を伸ばして遊べるネットゲームがあってもいいと思うし、主義主張を現実世界のしがらみなく発散できる場所があってもイイとは思います。 日常のコミュニケーションとネットが密接になってきたのは、アタシとしては純粋に楽しいです。ようやく便利になってきたなと思います。現実的になってきたなとも。 でもみなさん気をつけてくださいまし。今までの匿名と同じ感覚で気軽にアレな事書いてると、いろいろ大変な事になっちゃいます。インターネットというのは情報をやりとりするところ。そして公共の場であることをキモに命じてご使用くださいまし。 2011年 12月 11日
モバイルユーザが増えたというよりは、最近もりもりシェアを広げているスマホの3Gの帯域圧迫のおかげさまだと思うんですけれども。
街中のカフェやそれに類したお店なんかでも無線LANサービスを導入するところが増えてきましたね。昨今では7&iも7SPOTなんてサービスを始めたりして、都内のコンビニなんかクソ狭くて店内のドコで無線LANなんか使ってる余裕があるのよいづらいじゃんよ。なんて思ってたらテーブルやイートインスペースなんかを置いてる店も出て来てるんですねセブンイレブン。 さておき、ちょっとまえというか結構まえから、Wifineというサービスがあります。NTT-BPが主催している無線LANサービスで、タリーズやケンタッキーフライドチキンあたりに導入されてるんですけども。これが恐ろしく使えないサービスでして。 グーグルの検索窓にWifineと入力してスペースを入れると、「wifine うざい」「wifine 使えない」「wifine 邪魔」などとまぁみなさん思う事は同じらしく(笑) ![]() どういうサービスかというと「店内の無線LANを使ってお店オリジナルのポータルサイトが見られます」というシロモノ。 ていうか「お店オリジナルのポータルサイトしか見れません」 無線LANといいながらインターネットには接続できません。従ってメールチェックもTwitterもFacebookも4sqにチェックインもできません。 最近は無線LANサービスが使えるお店なんかも増えているので紛らわしいんですよな。使えると思いきや使えないww お店で席についてコーヒー置いて、機器を取り出して通信の設定欄開いて、見つけて選択してよし繋がったv ってやってからのあのイライラ感。 あれ?ブックマーク選んでも同じサイトに戻されちゃうよ。Twitterクライアントがエラー吐くよ、メールサーバに繋がらないよ。等々。 元々wifineがそういうサービスだって知ってればいいんですが。最近はカフェに入ったら「無線LANあるかなー」なんて試したりするのも習慣になってるので、余計に腹立たしい事になります。 おまけにiOSは一度つないだ無線LANは設定開いて削除しない限り自動で何度も接続しにいくので一度接続してしまうとお店じゃなくても其処此処で使えないwifineに自動的に繋がってしまって舌打ちをするハメに。 いったいwifineはどういう意図でもって導入されたサービスなんでしょか。わざわざスマホやノートPCやタブレットで、お店の独自ポータルを見ろというんでしょうか。 なんかものすごく的外れなんじゃないかなぁと思うのですよね。アレ。 2011年 11月 18日
エコが流行してるからか、節電の影響か、最近増えてる自転車とその事故に、警察庁が乗り出したもようです。
いっときはアタシもクロスバイクに乗って片道16kmの道のりを自転車通勤していたことがあります。今でもたまにフラリと走ったりしてます。 クロスバイクは、ロードレーサーほどではないにしろ、私鉄地下鉄を乗り継いで片道1時間ちょいの距離を1時間弱で走破できる程度にはスピードの出るシロモノです。だいたい平均時速で15kmくらいですね。 自転車はそもそも軽車両なので、車道の左端を走ることになっています。ただ、歩行者の妨げにならないのを大原則に「歩道を走ってもいいよ」というルールでした。本来はね。 ところが、街の自転車の様子を見ていると「自転車=歩道を通るもの=歩行者の延長」と思っているように見受けられる人が大変多いのに気づきます。そして逆走している自転車がとても多い事。 歩行者は普段道路の右か左かどちらを歩くかはあまり意識してませんよね。実際に道路交通法でも歩道がある場合には右左どっちを歩いてもよいのです。歩道と車道が明確に区別されていない道を歩く時は道路の右端を歩くのが歩行者のルール。 歩道や車道を逆走している自転車の人は、おそらく「歩道を通るんだから歩行者の仲間」なつもりで、意識しないままルール違反をしているのだと思うのです。 また、自動車の運転手についてもそれは同じで。 車道の左端を自転車で走っていると、自動車に「歩道を走れ」という意思表示や圧力を示されたりします。幅寄せされたり、信号待ちの時にわざわざ窓を開けて「危ねぇだろ!歩道を走れ!」と怒鳴られた事もあります。 別にフラフラしたりのろのろ低速で走ってる訳ではないですヨ!クロスバイクはロードレーサーほどではないですが、ママチャリよりは遥かにスピードの出る自転車です。あんなモンで歩道なんか走れませんよ恐ろしくて。段差怖いし。人とぶつかったらどうするんだ。 ただ路上駐車の車を避ける時などは車道側に大きく膨らまなきゃならないので、車道を走っている自動車の様子を見て、ちょっと行かせてくださいよ。って意思表示をしたりします。バス停で止まってるバスを追い抜く時は緊張します。客を拾おうとするタクシーを追い抜く時はもっと緊張します。 それはさておき、どうも世間では「自転車=歩道」の図式が定着してしまっている模様。 歩道を走るものだから、道を歩くのと同じ感覚で逆走したり、音楽聞きながら走ったり、ケータイ電話見ながら走ったりしているのでしょうよ。それって危険きわまりないのですけれども。 歩道走行禁止の規制強化の報道に「車道を走るのは危ない」という意見を多く聞きます。が。 そもそも本来は自転車は軽車両です。車道走行が原則です。 たとえママチャリであろうと、車道を車と一緒に走るからにはそれなりの緊張感を持つのは当然と思います。車の流れをよく見て、接触しないように、左折車に巻き込まれたり、右折車にハネられたりしないように、よくよく注意して走るのは当たり前です。原付だってバイクだってリヤカーwだってそうしてます。 だからアタシはむしろ規制強化に大賛成。 ただそもそも「自転車=軽車両=車道の左側端を通行」の概念が行き渡ってませんので、自転車を買うには警察署や自動車免許書センターに行って、講習を受けて来るなりしないと買えないですとか。それなりの制度も必要と思います。免許書制とまではいかなくても、講習くらいは義務付けるべきじゃないかと。 こないだ早稲田通りで制服警官が自転車に乗って、歩道を逆走しているのを目撃してしまいました。ちょっと絶望的な気分になりましたよ。 それくらい、自転車乗りの意識は低いです。 本当に自転車を愛好している人には、きちんとルールを守り、ヘルメット装備して、保険にも加入して走っている優等生もいます。彼らにしてみれば「何をいまさら」です。 交通ルールは守りましょう。 でないと人をハネて怪我させたり死なせたり、もしくは車にハネられて怪我したりしたら大変ですよ。ホントに。 >自転車:「車道走行」通達 幅3メートル未満の歩道、原則禁止 警察庁が対策強化 2011年 10月 21日
![]() それがいきなり壊れちゃったんです。 Macが壊れる時ってだいたい予兆があるもんです。 レインボーカーソルがぐるぐるしはじめたり、スリープからの復帰がおかしくなったり。 あしかけ20年もMacつかって仕事してると、不具合にはだいたいピンと来ます。その時点で、HDDのフルバックアップをして、さぁいつでも来い!と故障や寿命を待ち構えるモードになったりします。 しかし彼の場合は突然でした。 スリープからの復帰がうまくいかず、とりあえず再起動。今まさに使ってるデータを退避して、ご飯食べて用事済まして、さぁバックアップでも取るか、と思った矢先にまたスリープから復帰できず。再起動したところ、起動音が連続何度か鳴って起動はしたんですが、画面がノイズで埋まってそれっきりです。 ウチのマシンは幸いにもけっこう長持ちする個体が多いです。 何台も使ってると実感するんですが、Macに限らず精密機器、電化製品って、やたら長持ちしちゃう個体と、わりとあっけなく壊れて寿命を迎える個体があるものです。 元々設計が優秀だったり、部品が優良だったり、工場の体勢がよかったり、原因は様々あると思うのですが、同じ工場の同じ時期に作られた同じ製造番号のモノであっても、方やカタログどおりの5年、かたや20年経ってもまだ現役。なんて事もあるのでそれだけではない何かがあるのかもしれませんw メインマシンとして新品で買ったMacの中で、この壊れたInteliMacが一番寿命が短いマシンとあいなりました。 買ったのが2008年5月なのでわずかに3年4ヶ月。その前のiMacG5が6年以上がんばってたのに対していかにも短い。まぁPCの寿命で3年ならそこそこではあるんですけれど、ねぇ。 そんな訳で修理業者に送ったりなんだりゴタゴタしたんですが、結局は液晶パネルとロジックボードが逝ってるという事で、4日後にはお亡くなりと判明。その日の内にアップルストアでポチっとヤってやりましたよ! で、10日後に上海からやってきたのは新しいiMac (27-inch, Mid 2011)です。構成はこんな感じ↓。 プロセッサ:3.1GHzクアッドコアIntel Core i5、6MBオンチップ共有三次キャッシュ ストレージ:HDD:1TB/SSD:256GB グラフィックボード:AMD Radeon HD 6970M(2GB GDDR5) 27inディスプレイはバカでっかいですね!あとSSD256GBの速さは伊達じゃねぇッス。高いだけの事はありますよ。 2011年 10月 06日
![]() Appleのスティーブ・ジョブズが亡くなりました。享年56歳でした。おくやみとご冥福をお祈りします。 彼が患った膵臓癌はとても生存率の低い癌だし、それに関わって肝臓の移植手術も受けている。彼は世界最高の医療を受けられる人のひとりだろうけれども、でもあの痩せ方が示すものは、回復ではなく衰退。近年の彼からはまるでインドの行者のような印象を受けていました。 前回のWWDCでのプレゼンが終わった時、奥さんと抱き合っているシーンをみて、なんとなく「ああ、本当にもういつ逝ってしまってもおかしくない人なのだな」と、覚悟はできていました。けれど、思った以上にショックを受けています。 彼がいなければアタシは違う人生を歩んでいたはずです。何を大げさなと言われそうなんですが、本当にそう。 学生だった私が、一度は拒絶したパソコンという道具を、もう一度使ってみる気になったのはMacを見たから。 Macとの出会いは高校のデザイン科に在籍していた頃です。 当時私は黒い画面に緑の文字のコンピュータ(たぶんPC9800あたり/記憶媒体は5inのフロッピーディスク)で、Basicや情報技術を学んでいました。工業高校で履修する基礎工業数理という科目です。今もあるのかな? 私にとってパソコンもプログラム言語もそこに未来を感じる興味深いものでしたが、まったくなじめませんでした。もうコンピュータなんか2度と触るもんか、って思うくらい。 そこで初めて見たのが建築科に2台だけ置いてあったMacintosh Color Classic。そのGUI。「デスクトップにフォルダと書類、それとゴミ箱」このインタフェイスはまだガキだった私にとってものすごい衝撃でした。「あるんだ!こんな解りやすいパソコンが!」って叫んだものです。よその科の備品だったので触らせてもらえる機会がほとんどなくて、今思えばなんでデザイン科にはなかったんでしょうね。 続いて進学した専門学校にはMacintoshが数十台並んだ部屋が導入され、あっというまにMacintoshはデザイン業界にも広まっていったんでした。 所有したMacはLC475、Centris 650、PowerBook 160、Power Macintosh 7100、Power Macintosh G3、Power Macintosh G4、iMacG5、iMac strawberry、 Mac mini、Intel iMac(24in)、MacBook Pro、Intel iMac(27in) 全部自分で買った訳ではありません。Centris 650は職場の先輩から譲り受けたものでしたし、イチゴ色のiMacは貰われてきました。起動したらいきなりLinaxコマンド入力画面が現れて面食らったマシンです。実家に置いて、父母と私が帰郷したときのネット用になってました。PowerBook 160も私の手元にあったのは半年くらいだったな。 学校出てデザイナーになってからずっと、Appleの製品は私の公私にわたるパートナーです。何をするにもMacがないと話にならん。仕事ももちろん、生活でも。iPodで音楽を聞き、iTunesで音楽を買い映画を借り、iPadでついったーして本も読む。 今でも私はApple教のどうしようもない信者で、winへの転向を勧められたりAppleの悪口を言われると本気で不機嫌になるダメな人です。Boot Camp?バカおっしゃい、ウチの可愛いMacにそんな野蛮なOS入れさせませんよ? Appleの何がそこまで私を引きつけるのか。 それは美しいデザイン。美しいプロダクト。 よけいなボタンや機能をどんどん排除して、シンプルに徹してゆくデザイン。素材の質感を生かすデザイン。初代iMacのボンダイブルーを見たときの衝撃といったら忘れられません。iMacG5もすばらしかった。あまりの美しさに量販店でカタログ貰ってきて壁に貼りました。iPod touchの裏面に使われた磨き込まれた艶々のアルミ。ワンボタンマウス。銀座アップルストアのガラス張りのエレベータにはボタンがありません。ドアの開閉はセンサーで各階を自動巡回するエレベータには必要ないから。 Appleのデザインの全てがアタシを魅了してやみません。見た目だけではなく理論が、その情報の整理のしかたや見せ方が。製品もウェブサイトもフォントも、全てが私がデザインをする上での規範でありお手本です。今でも、デザインに迷ったらAppleのサイトを見に行く。 それらのデザインは(彼がAppleを去っていた暗黒の時代を除いて)すべてジョブズのものです。彼が直接手がけた訳ではなくても、彼は絶対に、全てに目を通していて、最終的なOKを出す権限を手放さなかったと思う。特に復帰してからの彼はAppleの独裁者で王様だったのだろうと思います。 彼は学生時代にカリグラフィを履修しています。そしてコンピュータが画面に表示する文字というものにとてもこだわりを持ってMacintoshを作りました。 そんなAppleもいまやとんでもない大きな組織です。それでもあれだけ美しい製品をつくって来られたのは、ジョブズがいたから。偉大な天才でとんでもなくセンスがよくて、独裁者。 今のAppleは20年以上前、ジョブズをクビにした頃とは違います。偉大な業績を残した彼の精神を継いで、Appleはがんばっていくと思う。 けれどおそらくもう2度と、「すげぇ!」と心から感動する製品は出てこないと思う。あのボンダイブルーに受けた衝撃や、純白の樹脂と透明なアクリル枠を見た時の感嘆のため息は、たぶんもうない。 iPadやiPhoneにボタンが増やされた時、MacにリンゴマークとMyriadの製品名以外の何かが追加される時、アタシのAppleに対する信仰も失ってゆくのだろうなと思います。ああ、その時、私はデザインのお手本をどこに求めたらいいのだろう。 ありがとうジョブズ。あなたは偉大でした。 けれど願わくばもっともっと、あなたが作り出す美しいものを欲しがっていたかった。 >Apple 2011年 08月 27日
今頃ですが、ようやっと「崖の上のポニョ」を見ました。ここんとこジブリづいてます。宮崎駿のものすごいところは5才の子供、その母、老人など、人物をきっちり描けるところですよな。 アニメに登場する子供はその年齢設定にくらべて変に賢しかったり、逆に幼すぎたりするんですが、この作品の主人公宗介はちゃんと5才の男の子でした。 最近の宮崎駿作品では一番好きかもしれないです。ポニョ。 すごく解りやすい単純明快なストーリーで、ポニョも宗介もとても子供らしくて可愛い。お母さんのリサは運転が荒っぽいところもいかにも若い母親っぽくて人間味ある感じ。父親不在なのは相変わらずですけれども。なんで宮崎駿作品って父親が空気なんだろう…w リサがとてもしっかりしていて、地に足がついてる感じが好印象です。 宗介に対する愛情表現が豊かで、側にいてくれない旦那さんに寂しい思いもしているけど、とっても行動力があって前向き。母って強いなぁって思います。 好きなのは断然フジモト。いや、このヒトいいキャラですよ。元は人間で今は母なる海に仕える魔法使い。いかにもマジシャンらしい派手なコスチュームも、わっさりした赤毛もとても可愛らしいですよねぇ。 この一件のあと、あの潜水艦の中で大泣きしてるんじゃないかなと思うのです。「娘が嫁にいってしまった〜!」って。まだ5才なのに早すぎるよねお父さん。おまけに大事に準備してきた魔法もだいなしにされてしまうし。可哀想にw 母なる海に仕える魔法使いが大事に準備してきた魔法。それを全部つかって、願いを叶える人魚姫はわずか5才。たぶん、それ以上の歳になってしまうと、無垢で純粋な願いにはならなかったんじゃないでしょか。子供だからこそポニョの「宗介のところにいく!」「宗介と一緒にいたい!」という願いが純粋でいられる。 女の恋愛にはどうしても打算というか欲が入らずにはいられないのです。なので純粋な「好意」は子供のものでしかありえない。 ハヤオ先生…解っちゃいるけどそこまで追求せんでも普通に恋する乙女じゃダメだったんですか?w シータみたいな素直な少女でもよかったと思うんですけどよ…。 魔法が溢れてしまった後の世界が好きです。大きな月、水没した街、船に乗る人たち。フジモトのつくった魔法は優しくて、人間を穢れていると言いながら、きっとあの嵐で死んだ人は誰もいないはず。 冒頭であれだけ、ゴミがたくさんあって海底の泥が巻き上がる、港近くのキレイではない現実の海を描いておきながら、魔法の嵐の後の海は本当に美しい。古代の海棲生物が悠々と道路を泳いで、鮮やかな森が沈む海には汚染もヘドロもありません。フジモトは理想主義者というか、夢を捨てない人だなぁ。だから魔法使いになれたのでしょうかね。 リサと耕一の夫婦はいきなり子供が増えて大変だけど。 きっと海は、ささやかなお礼をしてくれるんじゃないでしょかね。フジモトなんか娘の行く末が気になってしょうがないだろうしw 耕一は船乗りだけどこれから先絶対海では死なないだろうし。 宗介とポニョが途中で出会う船に乗った赤ちゃん連れの家族。ポニョが泣いている赤ちゃんに頬擦りするシーンが好きです。 ポニョは母なる海と、彼女を敬愛している魔法使いの実の娘。 海の娘からの祝福は、きっとあの赤ちゃんをも幸せにするんじゃないでしょかね。 あの崖の上の家の庭先で、娘の様子を見に来たフジモトが、リサの入れたハチミツ入りのミルクティで籠絡されちゃっているシーンなんかを想像しました。 2011年 08月 11日
とんだ見当違いだったんですが。
日本はソーラー発電がけっこう充実してる国だと思ってました。 工場の屋根に設置しただとか、自宅の屋根に設置するとか、そこそこ普及していたからです。 もちろん多大な補助金というのもあるけれど、そこそこの性能とコストをクリアしているからだと思ってました。 カンカンも夢中になってるし、いやまぁあの人らは単純な算数もできない子なので信用なんぞできるもんじゃないのは解ってるんですけれど。まぁお金儲け上手なソンソンが目をつけるくらいならなんぞ利点もあるのかなと思ったんですが、いやいや。 そうでもなかった。 川崎市と東電が川崎の埋め立て地に作ってるメガソーラー発電施設をご存知でしょか。 羽田空港にもご近所な浮島とその隣の扇島の2箇所の敷地に、東芝製と京セラ製のそれぞれのソーラーパネルを敷き詰めて、おおがかりな太陽光発電施設を作ろうという計画です。 原発推進派のアタシも別に自然エネルギーを全面否定してるわけじゃないです。ていうかアタシ、エコロジストだし。再生エネルギーでまかなえるんだったらそれにこしたことはないと思うのですよ。なのでちょっと調べてみたんですけども。 スペックを見て愕然としたのです。なんという、ちゃっちー出力か。 浮島の定格出力が7000kW。扇島のほうが 13,000kW。両方合わせてようやく2万1000kWですってよ。なにそれ。それっぽっちなの? スペック表によると浮島の年間総発電量が740万kWっていうじゃないですか。今は亡き福島第1原発1号機(定格出力46万kW)なら16時間で発電する量ですよ。柏崎刈羽第1原発1号機(定格出力110万kW)なら6時間半。 原発ってすげぇ。いやそうじゃなく。ソーラーってそんなもんかよ。 (20年くらいはイケるらしいとの事なので訂正しておきます。) kWの単位がどうも実感できない人は円に変換すると解りやすいです。 時給7000円と時給46万円です。あら解りやすいw かたや晴れてる日しかフルに働かないし陽が暮れたらビタいち働かない時給7000円と、いったん働きだしたら数ヶ月24時間フル稼働する時給46万円です。 原発大反対ブームな昨今、「いいのよ、旦那が薄給でも家計でやりくりするから。」って奥様な意見も多いんですが、ご家庭ならともかく大都市が必要とする大電力を養うにはどうしてもそれじゃ足りないって事です。電車動かしたり大きな病院まかなったり、さまざまなものを生産する工場を動かしたり。そういう景気に大切な部分は安定供給できないと困るんですね。今日は天気悪いから働くのかったりーとか言ってる亭主には任せられないんですよな。 なんつー例えかと書いてて思った。自分でも(笑) ソーラーパネルはもうちっと使い物にならないとキビしいですねぇ。 >東京湾にメガソーラー発電所ができる![家電Watch] 2011年 08月 09日
なんだか世間では「原発=悪の権化」みたいな図式が蔓延しておりまして、どうにも「原発賛成」とは言いにくい雰囲気なのです。
けれどアタシはアタシなりの考えをもって、原発を支持しますよ。賛成です。 理由その1:資源 自然エネルギーは大都市で必要とする膨大な電力をまかなうベース電力にはなりえません。すくなくとも今の技術じゃ無理。 なので今原発をやめるには代喚として石油や天然ガスを燃やす火力発電が必須になる。 でも石油、高いんです。まして某お隣の13億人とか人口抱えてる中華の国がものすげー勢いで経済成長しています。経済成長=エネルギー消費の増加です。アメリカが産油国をコントロールできなくなってきてる今後、地下資源の価格はもりもりあがると予想されます。 今はまだ円高だからどうにかなっておりますけれど、これでまた石油価格が一気に上昇したり、円の信用がガタ落ちしたりしたら大変な事になるんじゃないかしら。 その点ウランはまだイケます。しかもプルトニウムに至っては売る程あります。 これうまい事モノにすれば資源のない日本がエネルギー生産のための資源を海外から買わなくてもよくなるんですぜ。素晴らしいと思いませんカッ? 理由その2:技術 核テクノロジーはものすごく高度な科学技術で、同時に将来なくてはならない技術分野なのではないかと思います。 今ココで日本が核テクノロジーから手を引く事が、日本が持つ技術力の低下を招く。世界の技術についていけなくなるんじゃないかという懸念があります。 100年前には原子力のゲの字もなかった我々が、原爆なんて末恐ろしいものを作りあげたあげく。今は電気エネルギー生産の有効手段として、平和に活用できてるんですぜ。さらには次世代のエネルギーを担おうってところまで来てる訳じゃないですか。 100年後の我々なら今現在ではもてあましてる核廃棄物でも、有効活用できる技術を編み出していると。そう信じたいアタシです。 理由その3:運用 日本の新幹線は秒単位の時刻で正確に運行され、かつ一度たりとも死亡事故が起きてません。 M9クラスの超広範囲な巨大地震の時も、新幹線は全車両安全停止し、脱線すらしませんでした。 これは阪神大震災の教訓を生かした日本の技術と運用のたまものと思います。すばらしい。 過去、日本では経済成長期に環境汚染をやらかして、四大公害病というものも出たりしてました。 それらはおおむね改善し、汚染も取り除き、空気だって川だって以前にくらべて随分奇麗になりました。 日本人は正確で精密な運用が得意ですし、過去からきちんと学習します。 失敗から体制を改善してゆく能力はちゃんとあると思います。思いたいなぁ。 原発だって今回の地震を教訓にシステムをちゃんと見直して、体制を改善してゆく努力をすれば、きっと安全な運用ができると思うのです。 「絶対安全」なんて詭弁が崩れ去った今だからこそ、あらゆる場面を想定して対応していく。 そういうの得意じゃないですか。 理由その4:防衛 JAXAのセミナーでこんな言葉を聞きました「人工衛星の打ち上げ技術を持っている国で、核兵器を所有してないのは日本だけ」まさにその通りで、日本には非核三原則というモノがあります。が。 原子力発電所が稼働しているという事+日本の技術力を鑑みれば、「核兵器が製造可能」であることは解ります。 そもそもIAEAってのはそれを監視する機関ですからな。 人工衛星を打ち上げるロケットを作れるという事は、大陸間弾道ミサイルを保有していると言う事です。そして原子炉があればプルトニウムを生産できる。元々チェルノブイリは冷戦下での核兵器増産のプルトニウム生産のための原子炉で、発電は後付け理由なんですぜ。 つまり原発は潜在的な抑止力。国土防衛に一役買ってるんですよな。 日本はヒロシマ・ナガサキで懲りたから核兵器は作らない事にしたけど、やろうと思えばできるんですよ君たち。と、諸外国に暗黙のアピールができてるんです。 実際にすぐ隣にミサイル飛ばして示威行動してくる国があるんだからさぁ。おとなげないけど必要だと思うんですよこういうのって。 理由その5:低線量被曝の影響 いやこれはホントに憶測なんですけど。低線量被曝って実は人体にはまるっきり影響ないんとちゃいますか?あっても誤差の範囲内レベルというか。100m300mって現場作業員レベルにでかい数字ならともかく、μレベルの積算被曝量とか意味ないんじゃね? 実際には疫学のデータがないのでわからない。ってところだと、いろんな資料を読んで解釈してるんですけれど、どうなの?
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