2009年 02月 18日
そーゆー事ですよな。企業においても政治においても、社会の中でリーダーシップを発揮する人というのはその性質を持ち合わせている人だと思うのです。 仕切りたがりとか、目立ちたがりとか、頭がよくて人使いが上手いとか、小学校くらいの頃から既にそんな子はいましたよね。学級委員なんて面倒な事もちゃんとやってくれる子です。
全てがそうとは言いませんけれど、そんな子供はやはり育って後も優秀なリーダーになる素質を持っているのだと思うのです。 走るのが早い子は将来スポーツ選手になるかもしれませんし、算数が得意な子は数学者になったりトレーダーになったりするかもしれません。 アタシなんか実際ガキの頃「絵が上手い」などと言われ、写生大会や子供向けの絵画コンクールで賞をもらったりしてるうちに勘違いしてそのまま大人になって今に至りますからな。今じゃすっかりグラフィックデザイナーです。単純です。 小学校では基礎教育も勿論大事ですが、子供の可能性を探るのが教育の大事なところだと思います。 別にオリンピック選手やノーベル賞や大臣になるとこまでいかなくたって、将来どんな仕事についていくか、何を生業にしていくか、何が好きで何が得意か、ってのを探すのが教育の大事な側面なんじゃないでしょか。 だからこそあらゆる学問の基礎に触れて、様々な体験をするべきなのではないかしら。 走るのが早いとかリーダーに向いているとか絵がうまいとか勉強ができるとか、そんな個性を潰されてしまう教育を受けているとすれば鳥取の子供たちは可哀想です。 子供のうちに挫折を経験してないから、打たれ弱く育つのだと思います。 社会に出たら否が応でも競争です。大人になったら走るのが遅いからって近道を用意してくれたりしません。負けるだけです。 負けない様な配慮を求めたって無駄。するべきは負ける様な事態にならないように準備、努力、あるいは回避する事。 >小学校に「学級委員長」不在の鳥取県、20年ぶり復活へ[asahi.com] >「学級委員長」の復活と本当の平等[日経BPネット]
by suzu_na
| 2009-02-18 17:28
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